書籍レビュー「嫌われる勇気」自己啓発の源流アドラーの教え④

前回からの続きです。

それでは、面と向かって人格攻撃されたときはどうするか?怒りという道具に頼る必要がない。人は対人関係の中で「私は正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れている。

アドラー心理学の行動面の目標は「自立する事」と「社会と調和して暮らせる事」の2つ。それを支える心理面の目標が、「私には能力があるという意識」という意識、それから「人々は私の仲間である」という意識である。

人生のタスクは、仕事のタスク、交友のタスク、愛のタスクの3つに分けられる。

対人関係のトラブルは、自分自身が決めたライフスタイルで決定されている。他者や環境によっては決定されてない。そしてそこで勇気をだして、自分の能力、環境でなにをするか?を見極める事が重要である。これはフロイトが唱える所有の心理学ではなく、使用の心理学です。我々人間は、原因論的なトラウマに翻弄されるほど、脆弱な存在ではない。目的論の立場に立って自らのライフスタイルを自分の手で選ぶ、我々にはその力があります。

感想
自分が正しいか対人関係の中で常に自分自身に問いただす事と、配られた手札でどうするか考える使用の心理学。ある面からすると成長を諦めてるようだけど、こちらの手法の方が成長するかもしれないな。自分に合うかは試してみないとわからないけど。

書籍レビュー「嫌われる勇気」自己啓発の源流アドラーの教え③

前回からの続き

健全な劣等感とは、他社との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものである。

感想
うーん。そもそも理想の自分を明確に思い描く事が可能なのが前提だから、それまでが難しいのでは?目的論で生きようと思ってもそもそも長期の目的を持つために何をすればいいか?自分で見つけるしかないのだろうか?

対人関係を競争としてではなく、他者の幸福を私の負けだととらえず、すべての人が仲間だと実感できれば、世界の見え方は全く違ったものになる。

対人関係が復讐の段階まで及んでしまうと、当事者による解決はほとんど不可能になります。そうならないためにも権力争いを挑まれたときには絶対に乗ってはならない。

感想
承認欲求とは、自信が他社との競争に勝ったときに得られる事もあるのでそのレベルを超えて心理面、行動面を変えていった方がいいと言ってるけど、そもそもそうだろうか?マズロー理論だと自己実現欲求を満たすベーシックなプロセスは、承認欲求を満たしてからの方が自己実現しやすいらしい。でないと承認欲求が自己実現に進もうとする個人を引っ張ってしまいなかなか目的に行きづらくなる。一足飛びで自己実現する人もいるみたいなので一概には言えないが・・・。

対人関係が復讐の段階まで及ぶのも「自分の意見が正しい、正しいと認めてもらいたい」という承認欲求が働いているからかもしれない。それを話している相手をチームと考えてどうすれば個人ではなくお互いが良い方向に行くか?そして良い方向に行った結果が個人にどう返ってくるかイメージする必要があるのかな。

書籍レビュー「完全なる人間」A・H・マスロー(マズロー)②

前回からの続き

知ろうとする欲求と知る事への恐れ

一般に知る事の恐れとは、我々の自負心、自己への愛情、尊敬を守る意味でえ防衛的である。そういいた自分を劣等、虚弱、無価値と感じさせるような知識を恐れがちである。
※僕の周りの日本人の中に、自分の価値が低いという情報が今の自分を認める事により好む人も少数だがいる気がする。

弱者と知る事の恐れ

内気な人間は詮索好きな好奇心を持つ事が、つい他の人々に挑戦するものだ、と考えやすい。まるで知性的で真理を探究する事が、なんとなく議論好きで、大胆で、背負いきれない形で男性的になり、このような姿勢は、年長者、実力者の怒りをかうとでも考えている様子である。いくぶん同じ事が搾取され圧迫された人々、弱い少数グループ、奴隷と言った人々に見られる。彼らは自由に知る事をおそれ探索することを恐れる。主人の怒りを買うかもしれないからである。表向き馬鹿になる防衛的態度はこのようなグループに共通して取られている。搾取者、専制者は場面の力関係から、配下の好奇心や学習や知識を奨励するとは思われないのである。人々があまりに多くを知ると反抗しやすくなる。搾取者、被搾取者ともに、知識が、善良で感じの良いよく適応した奴隷とは両立しない。このような状態では知識は危険である。例としては見入るような眼差しは、猿のボスが支配を確率する為に用いる主な方法であり、従属的な動物は特徴としては、凝視しないのである。

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書籍レビュー「嫌われる勇気」自己啓発の源流アドラーの教え①

今回は、完全なる人間を図書館に返却してしまったので、また購入してから続きを書くとして、新書「嫌われる勇気」の概要とレビューを書こうと思います。

アドラー心理学では、現在の環境から受けて発生している感情は、原因(過去、トラウマ)から発生しているのではなく、目的から発生していると考えている。
例えばひきこもりをしている人は、恐怖があるから外に出れないのではなく、外に出たくないから恐怖を作り出している。

アドラーはトラウマを否定する議論の中で、「いかなる経験もそれ自体は、成功や失敗の原因ではない。我々は自分の経験によるショックいわゆるトラウマに苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、自分が与える意味によって自らを決定するのである。」

感想
原因論というのは自分の可能性を狭めている、今自分におこっている現象の責任を分散させてるというのは、一理あるかもしれない。僕自身が過去のトラウマを今の目的を変えた事で、意味付けが変わった事は、あるような、ないような・・・。

書籍レビュー「完全なる人間」A・H・マスロー(マズロー)

人間には欠乏動機と成長動機がある。

勘違いしないで欲しいのは、欠乏動機が劣っているとか成長動機が優れているという話ではないので、そういう色眼鏡で見ないで頂ければ幸いです。

欠乏動機の多い人間は、成長同期の優れた人と比べて人に頼る点が多い。かれは、「利害関心」、必要性、執着、願望が一段と強い。この依存は対人関係をいろどり、制約する。人々は、全体的、多面的な独自の個人としてではなく、役立つかどうかの見地から見られるのである。彼らの中で、認知者の欲求に無関係なものは全く見落とされるか、それとも退屈したり、じらされたり、脅かされたりするかいずれかである。この関係は、我々がもちいる給紙人、タクシー運転手、赤帽、巡査、その他はもとより、牛、馬、羊との関係に等しいのである。まったく利害関係を持たず、無欲で客観的、全体的に他人をとらえる事の出来るのは、かれから何も求めようとせず、ただ彼を求めている場合にのみ可能である。したがって、自己実現をする人々(もしくは瞬間)にして初めて人間全体の固有の審美的な理解が出来るのである。その人がご謹厳をとったり、我々を誉め称えるからではなく、客観的に立派な特質に対して、是非、承認、愛情を与えるのである。

 

高木の考察

損得で考えているうちは自己実現から離れているという事。ただ損得で人間関係を築くという事が必ずしも悪い事ではないし、それで成功してる人も沢山いる。自分がそうなりたいと思うかどうかが重要なんだと思う。僕は自分が個人として受け入れられてきたから他人に対しても同じ態度で接したいと思ってる。記憶に残ってるのは、L.Aでアメリカ人の友人に言われた、僕と話してるとテストされてるような気がする。そういう事はしたくないな。 

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